ルキノ・ヴィスコンティを抜きにしてイタリア映画は語れない
ルキノ・ヴィスコンティは14世紀から続くイタリアの名門貴族で先祖はあのダ・ビンチの後援者だった裕福な家庭に生まれ、幼少の頃より芸術に親しむ。その出自にもかかわらず、イタリア共産党に入党する。ルキノ・ヴィスコンティは1932年頃よりパリへ頻繁に赴き、芸術家らと交流を重ね、36年にパリに旅行した際に映画に興味を抱き、ココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと会う。ルキノ・ヴィスコンティは彼の監督作品を手伝い、42年に「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で長編監督デビューを果たす。ルキノ・ヴィスコンティはレジスタンス活動のかどで逮捕されるが、連合軍のローマ解放とともに釈放。舞台“恐るべき子供たち”の演出が評判となり、舞台演出家としても名をはせていった。全盛期の作品は発表当時、映画通の人気が高く、ベストテンのトップあたりに来ることもしばしばだった。映画館の上映の終了時に、試写会でもないのに観客の拍手が鳴り止まない事もあった。ルキノ・ヴィスコンティの作品は華麗で美術性の高い作風が特徴で、難解で高尚で文芸的な雰囲気もある。妥協を一切許さない荘厳な作風がルキノ・ヴィスコンティの特徴。
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ルキノ・ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、ルノワールがルキノ・ヴィスコンティに推薦した小説で、ファシズムを批判するような内容ではありませんが、ルキノ・ヴィスコンティはそこに労働者の姿やイタリア社会の本質的な環境を描くことができると考えたのです。反社会的なものでは、また検閲で却下されるため、舞台や設定を完全にイタリア化し、政治批判、イデオロギーを巧妙に隠し、脚本を練り上げます。『妄執』(『郵便配達…』の原題)として正式に承認を得た本作は、1942年6月から11月にかけて撮影。当初、ルキノ・ヴィスコンティは主演のジョヴァンナ役にアンナ・マニャーニを希望しますが、彼女が妊娠中だったため、クララ・カラマイに変更(後に『白夜』にも出演)、ジーノは当時の人気俳優マッシモ・ジロッティが演じます。しかし、制作の段階でスタッフが次々と反ファシズムのかどで逮捕され、メンバーは常時警察の監視の下にありました。映画は無事に完成しますが、保守派から痛烈な批判を浴び、結局は一部の地域で短期間に上映されたり、カットされた状態で公開されたりと、ほとんどまともな形で公開されることはありませんでした。
ルキノ・ヴィスコンティはレジスタンスの活動に関わっていたとされ投獄されてしまうが、ローマ解放と同時に釈放され、復帰。以後は舞台演出家としても活躍。ルキノ・ヴィスコンティの初期の作品「揺れる大地」「若者のすべて」などでイタリアのいわゆる「南部問題」を取り上げ、「ネオ・レアリスモ」の一翼を担い、その作風から「赤い公爵」とも呼ばれたが、「夏の嵐」を経て63年の「山猫」からは豪壮かつ典雅な大作を手がけるようになる。『山猫』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。この時期から晩年は一転して没落する貴族や芸術家を描いた耽美的な作品を多数発表する。特に、クルップ製鉄財閥をモデルとした『地獄に堕ちた勇者ども』、マーラーをモデルにした(トーマス・マンの原作では作家に設定を変えてあるものを作曲家に戻している)『ベニスに死す』、バイエルン王ルートヴィヒ2世を描いた『ルートヴィヒ』は、19世紀後半〜20世紀前半のドイツ圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いて「ドイツ三部作」と呼ばれファンが多い。しかし72年頃から体調を崩し、その後「家族の肖像」「イノセント」を製作した後、76年に死去。
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